こんにちは。

さかいゆみこです。

私は20歳で趣味でヴァイオリンを始めてから
1年半後くらいに音楽の道に進んでみようか
気持ちが揺らぎ始めたのですが
(それも今考えれば世間知らずというか、怖いもの知らずすぎですよね笑)

何か自分の中で今までにない特別に感じるものがあったのだと思います^^;

最初の方は
◯鈴木ヴァイオリン教本1巻から始めて
◯新しいヴァイオリン教本2巻〜
◯カイザー
◯小野アンナ音階教本
◯セヴシック御三家(?)
◯クロイツェル⇦1年半くらい経った時
◯カールフレッシュ
こんな感じで進んでいって
本(やること)もどんどん増えていっていました。

ヴァイオリンを始めてから2年半くらいで
ラロも弾いていました。
弾けてはいません笑
ただ根性で弾いていただけです笑
基礎もちゃんとやってなかったので
今思うとめちゃくちゃやったなって思いますが
良く頑張っていたと思います^^;

ラロを練習していたときは
基礎もやってないもんだから
アルペジオのところもすごく大変でしたし
ここが限界かな…
と諦めようとしてた時もありました。

そんな時に大学の時の恩師とご縁があり
なんとか軌道修正していただいて
そこからがリスタートだったな、と思います。

リスタートしてからは
たくさんのヴァイオリニストを育ててきている先生だったので
この世界のこともいろいろと教えていただいて
内心、愕然と絶望を覚えた記憶があります。

当時の私自身は指導者になることが目標だったので
演奏者になろうなんて微塵も思ってなかったのですが
今まで練習してきたことの方向性は間違いではなかったものの
ただ弾いていただけ、音を出していただけという
全部やってるつもりだったことに気付き
門下生の皆さんがどれだけ綿密に練習を積み重ねてきたか
自分の意識の甘さを痛感しました。

門下に入ってからしばらくは

「選ぶ道間違えたかも…」

とブレブレになってました笑
ザ・世間知らず、というか^^;
でも背に腹はかえられぬ思いで⇦当時の自分的には
先生に言われたことはできるだけ確実に消化するように
必死に課題(練習)をこなしていました。

レッスンでも生徒たちによく話すのですが
『とにかく自分の音を聴くこと』
当時の自分もこれが一番足りてなくて
大人なので多少考えるという感覚はあったのですが
聴くという感覚が弱かったように思いますね。
「聞いてるつもり」だったんですね。
「聞く」という意識の向け方が違いました。

もっと聞けていたら
もっといい練習ができていたのに…

なんて今は思います。

でも当時は当時で
その時できることを精一杯やってたから
やってきたからこそ
今感じてることがあったり
できることがあるとも思います^^

何でもかんでも、スムーズに進めていけてたら
今のようなレッスンもできるようにはなってないのでね。

今年はヴァイオリンを始めてから25年になるのですが
音大を卒業してから
実は何度か音楽をやめようと思ったこともありました。
これは結構よくある話ではありますよね。
その都度いろんなことがあり
「あなたは音楽をする人、指導をする人」
ということがあったりで
人生いろいろでいろんなタイミングがみんなにあります。
ちょっと遠回りしたこともありましたが
やってきたことはどこかで役に立つことがあって
積み重ねてきたことが今に全て繋がっている。

時間がかかることも
時間をかけた方が身体にしっかり蓄積していって
桃栗三年柿八年。
3年でできるようになることもあれば
8年でできるようになることもあります。
時間をかけてきたからできるようになってることってたくさんありますよ。

すぐに結果が求められる現代ですが
結果のためにヴァイオリンや音楽をするわけではありませんよね。
時間をかけてきたことが身体に蓄積して
人生の中で音楽とどんなふうに関わるかも人それぞれ。
蓄積できたことも自分だけが頑張ったのではなくて
先生、家族、友人、身近な人たちの理解や協力があったからこそで
思い返した時に、そこから感謝の気持ちも生まれます。

レッスンを通して
皆さんのそれぞれの幸せの形の中に
ヴァイオリンや音楽があるといいなと思います。